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ジャン・ジャック・ルソーもまた、自己沈潜こそが究極真理への道であることを喝破された
(2007-03-18)
ルソーを晩年狂人であった、とする者は多い。ジイドは良き彼の理解者であったものの、ヒューム等の諸友を失い、また、ボルテールをして“狂犬病にかかったデイオゼネスの犬”といわせしめた。ビュリンチエールは“告白録、対話録、夢想これらは狂人の書”と、ピエール・ラセールにあっては“彼を理解する頭をもちあわせてはいない”と述べたという。一方、ゲーテは言った、“君自身に戻りたまえ。そうすれば君はそこに、高貴な精神の持ち主なら、その存在を疑い得ない中心点を見いだすだろう” (同名著:福島瑞穂訳より)。私が最初に本書を手に取ったのは、研究者への一歩を踏み出しはじめた三十歳前であった。その時分は、同著に“一見”観覧さる彼の異様な自己執着に嫌悪を催し、中途で投げ出した記憶がある。私も当初、彼を“狂人”とみなしたのだ。それより十年ほどが経過し、本年四十歳を迎えた私は、本著に“何か置き忘れたもの”を直覚したのであろう、今一度同著を紐解いてみたのである。結果、私は“かつて置き忘れたもの”、すなわち、古今東西の哲人・賢人が喝破してきた“真理”への道程を、私はそこに読み取ることができたのであった。私はルソーが述べようとした“本質”を、三十前後の未熟な感性では読み取ることができなかった不明を恥じつつも、一方では、不惑にしてそれを拝受できる受容体が自身に発現していた喜びに大いに感じいったのであった。考えてもみよ。エミールなどの不滅の名著を記した偉者が、いわゆる巷間でいう“狂人”であろうはずがないではないか。ルソーは人間を真に愛するがゆえに、“俗人”が蔓延る俗世を離れ、孤独に回帰、そして自己沈潜したのである。これは釈尊、トルストイやヘッセにも通じる真理への道筋なのであり、エマソンを経たのち、そしてソローへと継承されるのである。この魂の書を後世に遺したジャン・ジャックという人間が心から好きになった。
ルソーといえば、「エミール」の印象しかなかった
(2005-09-12)
タイトルに惹かれ読んでみると、エミールの印象とは程遠いルソー晩年の思想の姿があった。
なかなか感慨深いものがありました。一人でいることが嫌いじゃない人にはおすすめだと思います。
異様な人間 ルソー
(2003-03-12)
「告白」の後編にあたる作品。晩年のルソーの姿を知ることが出来る。
病的な感すらする。己への過剰なまでの固執。他者への恐怖と嫌悪。
近代という時代は、かくも異様な人間から産まれたのか!そう驚かずにはいられない。
このような奇妙な人間が、どのような言説を吐き、それが後代にどのような影響を与えたのか。そういう点からは大変興味深く読めるが、残念ながら共感を抱いて読むことはとてもできなかった。
唯一、なるほどと思わされたのは、彼の自由観だろうか。「自由とは、自分の欲することを行うことではなく、自分の欲しないことを決して行わないことである」。だがこうした主張もまた、彼の極度の自己執着から生まれているのだ。
良くも悪くも己に固執した人間である。

