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人の心を掴み、組織を富ますリーダ像を知る
(2008-02-10)
資金が潤っている組織では、比較的なんでもうまく行くことが多い。その組織で働く人にも色んな意味で還元されているだろうし、様々な局面である程度お金が解決してくれる。
しかし、上杉鷹山(隠居する前は上杉治憲)の話は、
「売上が上がらない」
「利益が出ない」
「競合他社の脅威にさらされていて先行きが不安」
「組織が活性化していない」
「組織の上層部と現場に大きな隔たりがある」
などの、組織の状況が良くない場合で、組織に属する人の心を掴み、組織を活性化し、組織を富ませていくためのリーダシップを描いている。
上杉鷹山は直感的に物事の本質を見抜く力(右脳の力)と、論理的に仮説と検証を実施していく論理的思考能力(左脳の力)が高かったように思う。
今まで当たり前に考えられていたような習慣や儀式をベースに考えるのではなく、物事の本質に対してゼロベースで面と向き合い、「何故なのか?」、「どうあるべきなのか?」を考えてきたのではないだろうか?
その結果、『藩士、藩民を慈しむ』というリーダとしての軸を身につけ、それがぶれなかったからこそ、組織改革が出来たのではないかと思う。
人に対する慈しみの対応だけでなく、上杉鷹山が自分を制する強さ、数値に強くなること(財務に強くなること)は、古今東西リーダに求められる必須能力であろう。
また、この書籍からは、リーダという立場に立つ者であれば誰しもが経験する課題に対して、どう対処するのかというヒントも得られる。
なし
(2007-12-12)
江戸時代、時が進むにつれて次第に華やかな消費社会へと移行し、藩の懐事情を顧みない米沢の代々藩主によって積み重ねられた藩の借金と、
藩の規模が変わって収入が減ったのにもかかわらず家臣の数を減らさずに抱えてきたため、その家臣への俸禄の占める割合が歳入に対して多すぎるという藩の財政状況を如何に改善するか奮闘する鷹山と、その側近を中心に話が展開されています。
上杉鷹山の名前と名声は知っていても本を読んだ事が無かったのですが、こちらの小説ではその名君・名人物ぶりがよく分かると思います。
文章が平易で表現も直接的なので読みやすく、小学生にもお薦めの本です。
清流政治のの光と影
(2007-12-09)
財政的に壊滅的な状態であった米沢藩に養子として迎えられた名君上杉鷹山公の藩政改革をたどった名著である。
アメリカ合衆国第35代大統領ジョン・F・ケネディや第42代ビル・クリントンが「日本の政治家の中で最も尊敬する人物」として挙げている。
封建社会の中で武士階級の農業を奨励するなど、当時の「常識」にとらわれず、「武士」「農民」といった垣根を越えて、民主的で清廉潔白な政治姿勢を貫いた。
名君として評価される事が多いが、後継者育成に失敗したことと、あまりにも清流過ぎて、いつの世にも存在する、泥をかぶらざるを得ない者たちにとっては大変厳しいものであったことを見逃してはならない。
現に旧体制派とは何度も衝突し、収拾がつかず旧臣に切腹を命じる羽目にもなっている。
理想的な社会では、「闇」はあってはならないのかもしれないが、現実問題、時には「清濁併せ呑む」ということも必要なのかもしれないとも感じた。
リーダーが偉大すぎると他の者たちの力が育たず、リーダーを欠いたときに大変なことになるということもよくあらわされている。
政治家・経済・福祉関係者には是非読んでもらいたい。
なせばなる、
なさねば成らぬ何事も、
成らぬは人の為さぬなりけり。
ちなみにこの有名な言葉は彼の言である。
偉大なる綺麗ごと
(2007-06-15)
鷹山が進めた改革は、いわゆる「綺麗ごと」である。
しかし、無私の境地で、自ら率先し、民衆の心にまで入り込むことが出来たことが、彼の偉大さである。
とことん美しい。
このような日本人の美しい心をいつまでも語り伝えていくべきだ。戦前は修身の授業で上杉鷹山や二宮尊徳について教えていたのに、GHQがこれを止めさせた。
戦前の教育を全て否定するのではなく、良いものは復活させるべきだし、私も授業で習いたかった。
現代の鷹山出よ !
(2006-10-21)
J.F.ケネディが来日した際、「尊敬する日本人は ?」と聞かれ「上杉鷹山」と答えたが、居並ぶ日本人関係者はその名を知らなかったと言う。そんな鷹山の半生を書いたのが本書。
まず、私が錯覚していたのは、幕藩体制における藩と言うのは(運命共同体であるから)上から下まで一致協力して事にあたるものだと思っていた点である。それが違うのである。鷹山は米沢藩から見れば"外様"の殿様である。まず藩の代々の要職が敵に回るのである。鷹山が倹約令を出しても、参勤交代の費用とか、諸行事の費用とかを削ろうとしないのである。表向きは藩の体面を考えてである。だが、鷹山はそんな事を言っている場合ではないことを熟知しており、自ら規範を示そうとする。そして、そんな鷹山の考えに賛同していくのは若い藩士達なのである。それが、藩全体を包む動きになる。
鷹山が行なったのは倹約だけではない。もう一つ行なったのは今で言う"殖産興業"である。つまり、米沢藩の特産品を作ろうという運動である。これも一朝一夕ではできないが、時間を掛けて育てて行った。現在の山形県の特産品の原点はここにあると言っても過言ではない。
こうした施策のおかげで、米沢藩に財政的に余裕が出るようになった。飢饉の年、回りの藩が飢えに苦しむ中、米沢藩は米を回りの藩に支給する程だったと言う。
片方で倹約を説き、他方で産業を生み出す。言うは易く、行なうは難し。現代にも、こういう人物が欲しいものである。

